私の経歴とプロフィール

 

このページをご覧いただき、ありがとうございます!

ここでは、あなたご自身の、大切なお体を任せるうえで、当サロン相澤が、
どんな人がやっているサロンで、どんな人に話をしたり施術をされることになるのかと、大変気になる部分ではあるかと思います。

全く見ず知らずの人に、身体を任せることは、なかなか勇気が必要なことかもしれません。
ましてや、当サロンにお越し下さる方の場合、整体やマッサージ等を経験されていない方が、とても多いです。

私もかつて、パニック障害や浮動性めまい、過呼吸、慢性頭痛を伴う自律神経症状に、悩まされていた時期がありました。

そして、ここをご覧になっているあなたも、現在、同じようなお悩み抱えているのかもしれません。

少し長くなりますが、そのあたりを踏まえ、私の経歴や、当サロンの運営を始めるに至った経緯を知っていただき、「どんな人間がやっているのか?」という疑問の参考になれば幸いです。

グラフィックデザイナーとしての十数年

私は大学卒業後から十数年、東京で雑誌や書籍を中心としたグラフィックデザイナーとして、仕事に従事してきました。
そうです、前職は、全くの畑違いの仕事です。

新卒で入社したのは広告代理店でした。そこでは広告からパンフレット、小さなノベルティグッズ、イベント運営と、様々な仕事があり、職種も営業の方からライターさん、デザイナーからイベントプロデューサーまで、いろんな特性を持った方々たくさんおり、刺激的な毎日を過ごしてきました。

その後、自分はもっとデザインや絵を追求したいと思い、
デザイン事務所でお世話になりながら、自分で絵を描きコンペに応募したり等しながら、日々を過ごしていました。

プライベートでは、音楽とお酒が大好きだったので、ライブや音楽がある場所にでかけては、友人たちとお酒を飲んだり音楽を楽しんだりしていました。友人たちとバンドを組んで、活動したりもしていました。

 

体調のすぐれない日々、頭痛、自律神経失調症、浮動性(ふわふわ)めまいの再発、パニック障害

そんな中、当時は、仕事の性質上、一日中パソコンの前に座り、連日朝まで徹夜をするような仕事の仕方をしていました。

締め切りまでに、徹夜するのが当たり前、といった感じで、その習慣に慣れてしまっていました。

夜中寝ずにやって、寝るのは次の日の昼間、机に伏さって寝る、、、
これを何日も繰り返しやっていました。
今だから言えますが、職場の同僚や、仕事仲間も、突然会社に来なくなったり、連絡が取れなくなったりするなんてことが、しょっちゅう起こっていました。(今考えるとスゴイですよね。。汗)

…自分たち”は一体どうして、こんなことになるまで仕事をしているのだろうか。
…果たして自分は10年後にこの仕事をしているんだろうか。
…自分はこの仕事を心底好きと言えるだろうか。

いつしかそんな気持ちを抱え始め、そして、いろんなことをごまかしながら、仕事をとにかく「こなしてきた」ように思います。

疲労感・頭痛、自律神経失調症と診断

そんな生活をしていたものですから、いつしか毎日のように頭痛が続くようになりました。

頭痛薬も手放せず、同じものだと効かなくなってくるので、
○ファリン→○ヴ→○キソニン→○ーシン→○ファリン…と延々と頭痛薬を使用しているような状態でした。

そして、いつまでたっても取れない疲労感と倦怠感、そして帯状疱疹が出たり
さすがに心配になり、病院に行ってみる事にしました。

慢性疲労症候群、自律神経失調症ですね」

お医者さんにそのような診断を下され、そのときは何らかの薬を処方はされ、なんとなく飲み続けていました。

ただ不調だけは残りました。
そんなことを理由にして、約束をすっぽかすことも多く、恥ずかしながら、当時は友人たちにもたくさん迷惑をかけてしまっていました。

 

浮動性(ふわふわ)めまいの再発、過呼吸のフラッシュバック

そしてある日、高校生の終わりの頃に経験した「ふわふわするめまい」が再発しました。

実は高校時代、私は、高校受験が終わった頃から、次第に体調が悪くなり、
身体がふわふわして立っていられず、家で毎日頭を抱えるようにして過ごしていた時期がありました。

いわゆる「浮動性(ふわふわ)めまい」です。

周囲からは「うつ」だとレッテルを貼られました。

ですが、明らかに体調がおかしい。身体が変だったことは確かでした。

「違うんだ、身体がとにかくおかしいんだ」と言っても、「元気出せ、人生いろいろある」みたいに励まされていたのを記憶しています。

「なかなかわかってもらえない」ということは辛いな、と思ったのを覚えています

さらに今思うと、呼吸がかなり浅かったのがよくわかります。
そして、過呼吸をおこし、何度も救急センターにお世話になりました。
もちろん行く頃には落ち着いている…ということの繰り返しでした。

受験が終わり一番遊びたい時期でしたので、まぁ辛かったですね。
ちなみにこの症状は、その年の夏から、カイロプラクティックに数ヶ月通い、一旦症状は治まりましたが、
「一生つきあっていくことになるよ」
そんな風に言われていたのでした。

そして、このふわふわめまいの再発と共に、
過去の過呼吸の「フラッシュバック」が起きました。

パニック障害:電車に乗れなくなる、トンネルが怖い、人ごみに耐えられない

そんな中、あるときいつも通り通勤で電車に乗った時のことです。

電車のドアが閉まると、逃げ場のないことに急に怖くなり、恐怖感がどっと押し寄せてきました。

胸は詰まり、息苦しく、心臓が壊れるんじゃないかというくらいの動悸…
いてもたってもいられなくなりました。
次の駅までほんの2~3分です。
しかしその時感じた長さといったら………

息を切らしながら電車をおりました。

これはさすがにマズいと思い、すぐに病院に行きました。

「パニック障害」の診断を下され、
向精神薬や安定剤を服用しながらの日々が始まりました。

ちなみに当時、都内は全て徒歩か自転車、またはバスで移動していました。
どうしても電車に乗るときは、お酒を飲んで乗ったりもしていました。

都内で電車を使えないというのは致命的でしたが、おかげで趣味が自転車になる、といったこともありました(笑)。

薬の怖さの体験、身体がバラバラになるような…

そんな薬を服用しながらの生活で、いまとなっては“貴重”な体験をしました。

向精神薬が切れてしまい、一日飲まなかった日がありました。

すると次の日、とんでもない目に合いました。

帰り道、歩いていると、
突然「カラダのあらゆぶ部分のネジを外されたような」感覚に陥り
身体がバラバラになるような、
うまく表現できないですが、
バラバラに「されている」ような感覚
立っていられず道ばたにへたり込みました。

どういう風に表現すればいいのか、このような言い方でしか表現できません。

なんとかやりすごし、帰宅したものの、
翌日いそいでクスリをもらいにいきましたが、
しばらくそれが続きました。

「これはまずい…」

怖いけどとにかくクスリは止めようと決心しました。
そして苦しみながらも、数ヶ月かけ薬をやめていきました。

クスリの怖さを、身を以て知りました

このような経験が、今の私の「自律神経の不調に悩む方達の力になるぞ!」という大きな原動力にもなっています
そして当時、いま私が提供できることを知っていたら、どれだけ救われただろうか、と思ったりします。

ですが、この経験も、すべて繋がっていたのだと、必要な経験だったのだと、今更ながら感慨深く思うのです。

自分はどうしたい?

そんな体調不良や薬の怖さを経験しながらも、なんとか仕事もこなし、それなりの評価も頂いてきました。しかし、どうしても充実感を得られず、モヤモヤした日々を過ごしていました。

自分のモチベーションを上げるために、いろんな本も読みあさりました。

その頃から、自分は一体どうしたいのか、何をやりたいのか、そんなことばかり考えるようになり、自分の人生をもっともっと充実させて生きていきたい!と、思うようになりました。

なお、今振り返ってわかるのは、当時の私は自分の為ではなく、良くも悪くも、他者の評価や他者の喜びばかりを「基準」にして、行動していました。

「他者の為に動く」ということが悪いこと、と言いたいのではありません

基準が他者や外部に、傾きすぎていて、自分自身が蔑ろになってしまっていたのだと思います。

心理を学んで、実はそれが、いろんな不調を招く要因だったこともわかり、今ではその当時の自分の「身体に苦痛をもたらす思考パターン」を振り返ることができます。

合氣道との出会いと、整体師という仕事

自分の人生をもっと充実させたい!という思いから、選択肢として出てきたのが「整体師」でした。

その整体師という職業を意識しだした、大きなきっかけとなったひとつに、「合氣道」との出会いがありました。

合氣道は、ずっとなんとなくやってみたかった武道だったのですが、始めてみると「こんなに面白いものがあったのか!!!」と衝撃をうけ、一気にのめりこみました。

そして、徐々に、人間の身体の可能性と、面白さに興味が出て来たのです。

なによりも、合氣道を始めた事で、いつの間にか、自分の心身の不調がなくなっていきました

理由の一つとしては、武道の稽古の為、普段から、姿勢や呼吸を意識するようになったことが、大きな要因とも考えられます。(もちろんそれだけではないと思います)
当時の私は、ものすごい猫背ったので、姿勢や呼吸だけで、こんなにも違うものかと、思い知らされました。

そこで、合氣道や武道に関連する仕事はないかと、本気で考えはじめたところに、整体師が浮かんできました。

そして、身体を扱う仕事をやってみたい!という気持ちが、どんどん強くなっていきました。

整体を学び始める。整体師への転身を決める

そんな中、長年すごした東京を離れ、故郷静岡へ家族とともに帰ってきました。
地元で貢献したいという想いや、自分自身の人生をよりよいものにしたいという想い、さまざまな想いをもって帰ってきました。

そして以前より気になっていた、整体塾で、一年間学べる機会を得ました。

整体塾では、
「自分に嘘をつかず、等身大で、本気で、本音で生きる」
という、整体を学んでいくことで、自身のあり方を育てていくことを学ばせていただきました。

また、全くのゼロから、施術などということは一切してきたこともない私を、職業としてやっていける在り方と技術を伝えてくださった先生は、私の人生の大きなターニングポイントの機会を、強く支えてくださいました。

また、技術的にも、業界最高峰の技術とも言える手技で、しかも、自律神経の症状に大変有効である整体を学べることで、私にはうってつけの学びの場でした。

おかげさまで、本当に沢山のみなさんに応援していただき、整体塾受講開始から半年で、プレ営業を開始、その1年後に本格営業を始めることができ、現在に至ります。

自律神経の不調専門としての想い

営業開始から、一貫して「自律神経の不調専門」として運営をさせていただいてきました。

そもそも、なぜ私が「自律神経の不調」に特化した整体を始めよう、と思ったのか、それには理由があります。

それはまず、先にも書きましたが、自分自身が、頭痛や過呼吸、パニック、慢性疲労、とさまざまな自律神経系の不調に、長い間悩まされてきたのが大きな理由です。
そして、そんな生活の中で、薬の怖さも、身を以て体験してまいりました。

そんな経験を経て、幸いにも、自律神経に効果のある療法を、困っている方々に提供でき、「改善の可能性がある」ということをお伝えできるようになりました。

そしてさらに、現場でお客さまと接していて、このような辛い症状で悩んでいらっしゃる方々が、本当に多いということを、実感させられています。

治し方がわからず、途方に暮れている方たち。
異常が見つからないけど辛い思いをしている方たち。
藁をもすがる思いでいらっしゃる方たち。

こんなふうにお困りの方たちが本当に多いのです。

そんな方たちに、
「あなたにはちゃんと治る力と、無限の可能性がありますよ!」
そんな風に伝えていきたい、そう常々考えております。

もちろん、当サロンの療法が、万能だとは言えません。必ず治る!などとは簡単には言えません。
しかし、改善への最大限のお手伝いはできると考えております。
なぜなら、身体は必ず変化してくれるからです!

医療機関で原因不明と言われたり、異常が見つからなくても、改善の可能性は大いに秘めている、それをお伝えしたいのです。

心理アプローチを導入

私たちのような仕事は、学びに終わりがないと考えています。
ですので、現在の手技に磨きをかけながら、常に役立つことを学んでいます。

その中で、特に力を入れ始めたのが、「病気をやめる心理技術、心理アプローチ」です。

不調がなかなか終わらない方や、複数の病気を併発している方等、身体からのアプローチでは追いつかない部分を、カバーしていけるものではないかと考えています。

また、この技術を導入するのと同時に、私自身もかれこれ6年以上かけて、自分自身のこれまでの人生の心理的な面を、再考してきました。
そのあたりの経験も含め、不調でお困りの方に、提供できるものがあるのではと考えております。

一人一人が無限の可能性を爆発させながら、調和のとれた世界へアップデート!

他のページでも書いていますが、私には、不調を取り除くとか、治すとか、そういったことはできません

なぜなら、きっかけを与えることはできても、治すのは、あくまでもあなたの力でしかないからです。

そして、私がいつも感動するのは、そのあなたの可能性が溢れ出てくる瞬間を見たときです。

その可能性を爆発させるキッカケを作りたい!そして、その力を循環させながら、世界をアップデートさせたい!

そんな想いでいます。
私を含め、一人一人が無限の可能性を爆発させ、本来の力を発揮しながら、調和のとれた新しい世界を作っていく

そんなことをイメージしながら、活動しております。
ご縁のいただけたあなたと、一緒にそんな世界を作っていきたい!
そんな風に考えて居ります。

長々と書きましたが、私の人となりが、少しでも伝わりましたでしょうか^^;
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!!!

プロフィール

自律神経セラピスト・整体師・心理カウンセラー/相澤心也(あいざわ しんや)

静岡県富士市出身
昭和53年4月29日
血液型:0型
家族構成:両親、妻、長女、次女
趣味・好きなもの:キャンプ、写真・カメラ、音楽、富士山、海、体を動かすこと、せんと君、Back to the future

【経歴】
昭和53年 静岡県富士市生まれ
平成9年3月 静岡県立富士高等学校卒業
平成13年3月 千葉工業大学 工学部 工業デザイン学科卒業
平成13年4月~平成25年8月
広告代理店、デザイン事務所等に勤務しグラフィックデザイナーとして雑誌や書籍、広告、パッケージ等を作る仕事に携わる。
平成25年9月 家族と共に静岡に戻る
平成25年12月 整体を学び始める
平成26年7月 プレ営業を開始
平成27年4月3日 「無痛整体しんしん」をオープン
様々な分野を学びながら、「より多くの方のポテンシャル爆発させる愛の循環器」として活動中!